アメリカひとり旅日記3

9月26日(水) ツーソン〜フェニックス  晴れ

 

 っぱり今日も一番遅く起きた。フェニックスへの身支度を整える。なんとなくまだツーソンを離れたくない。出会ったのはいい人たちばっかりだったから。10時半頃に部屋を出るとコウイチロウ君が裏庭にいた。タバコを吸いながらしばらく話をしていた。エリサの姿はちらっと見たがロベルトは現れなかった。仕事にでも行ってしまったのだろう。メアリーも見かけたが、彼女も車でサワロ国立公園に出かけてしまったらしい。みんなに別れの挨拶をしようと思ったのに・・・。残っていたターニャとピーターにお別れを言って、ロベルトには伝言してもらうことにした。「日本に帰ったらメールする。」と。

 

 午前に楽しかったロードランナー・ホステルを後にした。コウイチロウ君は午後7時のグレイハウンドバスでサンディエゴにに向かうので、それまで荷物をユースに預けてた。俺はバスディーポのロッカーに荷物を預けて2人で昼飯を食いに行くことにした。お昼時のビジネスマンで賑わうダウンタウンを歩き回って、結局、チャイニーズレストランに入った。ここはセルフサービスなのでチップがいらないので助かる。ひさしぶりにまともな物を食った。その後は、近くの広場のベンチでタバコを吸いながら少し話をした。そしてお互いの旅の無事を祈って別れた。

 

 はバスディーポに向かいチケットを買ってバスを待った。フェニックス経由ロサンジェルス行き1:45pm発のバスを。でも、時間になってもバスは来ない。なんだかんだで1時間遅れてやっとやって来た。車両交換らしく、やって来たバスからは全員が降ろされた。荷物の移動とかでさらに出発が遅れた。バスの調子が悪くて遅れたのだろう。今回のバスはエルパソから乗った新型バスとは違って、昔のシルバーの車体だった。シートは狭いけど、俺はこっちの方が好きだ。足も床に届くしね。走り出したバスの車窓は相変わらず砂漠だった。少しうとうとしたらフェニックスに到着してしまった。たった2時間の旅だ。

 

 ェニックスはクソ暑い。ツーソンよりもエルパソよりも。いま全米で一番暑い街なのだ。バスディーポの前の通りで市バスを待った。レッドラインの西行。なかなかバスは来ない。空港が近くにあるのでそこの従業員の送迎バスばかりが通る。暑くて死にそうだ。気温は40度以上あるに違いない。30分ぐらい待ってやっとバスが来た。エルパソであったナカヤマ君はユースまで歩いてゆけると言っていたが、地図を見たらかなり距離があったので市バスに乗ることにしたのだ。地図を頭にインプットして方位磁石を使っていたので、どこを走っているのかが分る。ユースのある9th St.を通り過ぎたが、セントラル・ステーションまで乗って行き歩いて戻ることにした。そうすれば歩きながらスーパーとか探せると思ったから。が、実際に歩くとユースはそこからもかなり遠かった。日陰を探しながら歩いたが、フェニックスの街に高い建物はない。30分ぐらい歩いてユースの近くまで来たが、ここは住宅地。訳が分らなくなって地図を見ていると、1台の車が停まってユースの場所を親切に教えてくれた。

 

 ースの門をくぐると、いきなり「写真を撮ってくれる?」と宿泊者に言われた。その中の一人のオバチャンがユースのオーナーだった。スーと言う名前らしい。そのスーに案内されて2階の部屋に入った。山小屋風と言うか屋根裏部屋だ。12人の大部屋。俺は2段ベットの上になった。下はアラスカ人。とにかく、もう午後6時だからスーパーが閉まる前に夕飯の材料を買いに行かねば。ユースでもらった地図を頼りにスーパーまで歩いた。フェニックスの街の1ブロックはやたらでかい。片道20分もかかった。ユースへの帰り道はもう日が暮れていた。遠くに見える夕焼けとパームツリーのシルエットがきれいだった。

 

 ースの戻って庭で一服してると、ギターを弾いていたバートがやって来てタバコをせがんだので1本あげて少し話をした。同じ部屋に泊っている日本人2人も帰って来た。ここのユースは、夜は宿泊者それぞれ別行動って感じだ。外ではバートがギターを弾き、スーがそれにバイオリンで合わせて唄っている。


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