7月6日(火) 横浜 晴れ  サンフランシスコ 晴れ

 

 YCATから出発。みなとみらいを通って成田空港へ向かう。だんだん実感が湧いてきた。

 UA852に乗って9時間のサンフランシスコへの旅だ。機中、中国系のカップルが隣になった。俺は窓側だったので外を眺めながら行けるのはラッキーだったが、トイレに行く時に気を使わなければならないのが、うっとうしかった。しかし、隣の人達は逆に気を使って「トイレに行きたくないか?」と何度か聞いてきてくれたので助かった。そんな事を含め少し英語で会話をした。窓から見える夕景がとてもきれいだった。

 サンフランシスコの空港に到着。バゲージクレーム(荷物受け取り)でトラブル。ドアの故障とのアナウンスがあって、全員の荷物が20分以上も出てこなかった。故障が直った事がアナウンスされると、白人の中年男性が拍手。さすがアメリカ人は違う。日本だったらイラついて文句のひとつも出ただろう。

 荷物を受け取り空港の外へ出てみた。ダウンタウンまで行くのにシャトルバンに乗らなければならない。「地球の歩き方」によると外に出ればシャトルバンの運転手が声をかけてくることになっていたが、そんな様子はない。どこから乗るのかも分らずにしばらく空港の外をさまよった。タバコを吸ったら、突然めまいがした。かなり強烈でふらふらしてた。乾燥してる気候のせいで一気に吸い込んでしまったからか、しばらく吸っていなかったからなのか?とりあえず、シャトルバンらしき車の所まで行ってみたら運転手が「どこまで?」と声をかけてきたので、それに乗ってフリーウェイを通りダウンタウンへ。車窓から初めて見るサンフランシスコの街は、「なんかヤバい所に来ちまった。」って感じだった。ホームレスがうろついているし、閉店している店が多く、しかも鉄格子が窓にはまっている。ちょっと不安になった。日本から一泊だけ予約していたRAMADAホテルに到着。黒人のドアマンに場所を確認してチェックインカウンターへ。並んでいると「日本の方ですか?」と前に並んでいた日本人のサラリーマンらしき人が声をかけてきた。俺が、今日初めてサンフランシスコに着いて何も分らない事を言ったら、いっしょに街に出てみることになった。この人はHさんと言い、中国の商社で働いているらしい。一旦、部屋に行って荷物を置き、設備のチェックをしてから、H氏と街に出てみた。この辺はやたらホームレスが多い。俺は明日行こうと思っているリーバイスの工場兼博物館の場所の下見に行きたかったが、H氏のゴルフボールの買い物やら、パソコンソフトの買い物につきあった。COMP.USAと言う日本で言えばソフマップ見たいな所でiMacがあったのでインターネットをした。ふと見ると人が並んでいる。俺達は勝手に割り込んで遊んでいたらしい。イタリアンレストランでピザを食べた後、H氏とは別れた。

 その後、ひとりで観光案内所へ明日の宿捜し地図を手に入れる為に行ってみた。しかし、何がなんだかよく分らない。ホテルも見つけられなかった。時間も無くなってきたのでリーバイスの下見に行った。意外に近かった。ただ、人通りの無いような場所までの道のりは少し不安だった。着いてみると、ひっそり静まりかえっている。中を覗くと警備のオジさんがいたので見学ツアーの事を尋ねてみた。なんと、バケーションで来週まで見学ツアーは無いとのことだった。力が抜けてしまった。リーバイスの見学も旅のひとつの目的だったのにな。でも、頼み込んで中の写真を少し撮らせてもらった。外からの写真を撮っていると、中から従業員らしきおねぇちゃんが出てきて、俺のはいているジーンズを見て「いい色落ちね。」とほめてくれた。帰りは道に迷った。プエルトリコ系のお兄ちゃんに道を親切に教えてもらった。

 その後、明日からのホテルが不安になり、最後の手段のH.I.S.サンフランシスコ支店に頼ってしまった。なんとか見つけてもらったけど、高い。$119 + 14% TAX。とりあえず、これでひと安心。しかし、ホテルまで近道をしようと思って通った道が超危険地帯ホームレスゴミクズ鉄格子の入った窓、小便臭さ。ヘッドフォンをしながら大声で歌う頭のイカレタ黒人のねぇちゃんも寄って来る。ホテルがあるマーケットストリートも見つからない。走って逃げ出そうと思ったが、よけいに危険になると思って平静を装ってあるいたが、実は泣きそうだった。


                          次の日へ

日記の目次へ

HOME