アメリカひとり旅日記3

9月21日(金)  エルパソ  晴れ

 

 日は特にやることもなかったので、9時過ぎまで寝ていた。10時半ぐらいにサンハシント広場の前にあるマクドナルドに入った。ブレックファースト・メニューが表示してあったのでオーダーしたら、いきなりメニューを外されてしまった。なもんで今朝もビッグマック・セット。

 

 キサス大学エルパソ校(UTEP)を見に行こうと思い広場のバス乗り場で待っていた。時間になってもバスは来ない。次の時間のバスも来ない。もうすでに12時を過ぎてしまった。これはおかしい、と思って通りの反対側で待ってみることにした。が、やっぱりUTEP行きの#10のバスは来なかった。通り過ぎて行くバスを見ていたら、バスではなくトロリーが#10だったのだ。次に来たトロリーに急いで乗り込んだらUTEPとは逆方向だった。まっ、循環してるからいいか、とそのまま乗り続けて20分ぐらいでUTEP到着。アメリカの大学を訪ねるのは初めてだった。なんだかやたら広い。俺も学生のふりしてキャンパスをうろついてみた。(別に学生じゃなくても大学に入れるけど)たくさん建物があってどれがどれだか分らない。EAST WINGと言う建物にはフードコートや売店があって賑わっていた。「地球の歩き方」に載っていた無料のミュージアムをやっと見つけて入ってみた。入館者はどうやら俺一人だけらしい。2階にある化石とか鉱物とかのつまらない展示を見ていた。隣の展示室にはネイティブアメリカンの生活用品とかが展示してあり、そっちの方が興味深かった。みんなエルパソで出土した物らしい。1階に降りて誰だかの砂漠の写真展を見て外に出た。その後、UTEPの学生になる為にはロゴ入りのTシャツが必要だと思って売店に戻って買った。

 

 びトロリーに乗ってメキシコ国境の橋まで戻った。昨日と同じ両替所で持っていたペソを全部USドルに替えた。もうメキシコに入国することもない。ユースに戻る途中、エルパソ通りスタントン通りをスーパーを探しながら歩いた。今日も自炊するつもりだ。通りのTシャツ屋では、テロで倒壊したツインタワーをプリントしたTを売っていた。『アメリカは立ち上がった』『GODD BLESS AMERICA』などのメッセージが入ってる。星条旗を売ってる店もたくさんあった。5台に1台の車がアンテナに星条旗をつけて走ってる。アメリカ人は自分の国に誇りを持っている愛国心のある人が多いと感じさせられた。やっと見つけたスーパーでパスタとソースとガンボスープを買ってユースに戻った。その後、図書館にメールをチェックしに行ったが、すでに閉館していた。アントニオは午後8時までやっている言っていたのに。

 

 ールをチェックできないままユースに戻っていつものベンチでタバコを吸っていた。すると、アントニオがヘルメットをかぶってチャリンコを入口から出すところだった。「どこに行くの?」ってきいてみたら、フランクリン山までバイクライド(サイクリング)に行くらしい。「オマエも行きたいか?」と誘われたので、もちろん行くことにした。暇してたとこだし、ちょうどいい。アントニオは地下室からヘルメットと空気が抜けたチャリンコを持ってきてくれた。裏のガソリンスタンドでチャリンコのタイヤの空気を入れて出発。が、貸してくれたチャリンコのサドルは俺には高すぎる。アントニオのと取り替えてもらった。まさかアメリカでチャリンコに乗るとは思ってもみなかった。ギアの使い方も分らないまま乗ってみたが意外に乗りやすい。

 

 めはダウンタウンの道を走っていた。快調。だが、どうしても日本の感覚で角を曲がる時に左に行きそうになる。アメリカの道路は広くて気持ちがいい。車も少ないし。交通ルールがいまひとつ分らないけど、歩道を走ってはいけないみたいだ。車線変更も車と同じようにする。だんだん登りになってきた。ペダルが重くなる。その度にギアを軽くした。アントニオは前方を疲れた様子もなく走って行く。途中で休憩になった。持ってきた水を飲んでタバコを吸った。エルパソの乾いた空気のせいで喉はもちろん口の中に水分はない。「もし辛いんだったら戻ってもいいんだぞ。俺は一人で行くから。」とアントニオが言った。が、このオッサンに負けるわけにはいかないと思い「大丈夫。俺も行く。」と答えた。本当はかなり辛かったけど、再び走り出した。山道のカーブが続く。平坦そうな坂なのにやっぱりきつい。後ろから来た車はクラクションも鳴らさずに俺の後について来る。アメリカの車は本当にマナーがいい。常に歩行者や自転車が優先だ。

 

 た途中で休憩。「あと5回ぐらいカーブを曲がると目的地だよ。大丈夫か?オマエが気分が悪くなったりすると困るから、自分で大丈夫だと思ったら出発すると言ってくれ。」とアントニオは気を使ってくれた。俺はすぐに「OK! Let’s go!」と答えた。アントニオのオッサンには負けられない。左の眼下にエルパソファレスの街が広がって見えてきた。かなり山を登って来たのだ。そうだ、ここは去年、みんなで夜景を見るのにドライブに来た場所だ。またここに来れるとは思っていなかった。しかもチャリンコで。途中、もう1度休憩をはさんでやっと頂上についた。

 

 ょうど夕陽が沈むところできれいだった。エルパソファレスも夕陽に赤く染まっていた。自転車でここまで来るのは辛かったけど、その代わりに素晴らしい風景が待っていた。去年見た夜景もきれいだったけど夕景もいい。帰り道は下りだけだった。思いっきりチャリンコを飛ばした。日本での感覚があって車や人が飛び出して来るんじゃないかと、少し不安だった。だが、アメリカの道路はそんなことはない。安心して走っても大丈夫みたいだ。自転車が交差点に入ると車はちゃんと待っていてくれる。帰りはあっという間にユースに着いた。久々のチャリンコで太股が張ってしまった。アントニオは「よくやった。オマエもタフだ。」と誉めてくれた。「You too!」と言うとアントニオは「ガハハ・・・・・!」と笑っていた。本当にこれはいい経験だった。アメリカで山までサイクリングするとは思ってもいなかった。それに、最近はろくなモノを食っていなかったから体力的に心配だったが、なんとかなるもんだと変な自信もついた。アントニオは毎回ふつうの観光客が経験できないようなことを体験させてくれる。ありがたい。「普通は宿泊客に自転車を貸していっしょにサイクリングなんてしないんだ。まっ、オマエは友だちだから特別だ。」とアントニオも言っていた。このオッサンはこれから夜勤なのにその前にサイクリングとは本当にタフなオッサンだ。

 

 っきスーパーで買ってきた材料で夕飯を作って食った。今日は大学に行ったし、自炊もしたし、サイクリングもしたし、健康的な1日だった。洗濯をしに下の階に降りて行くと外ので午後10時から勤務中のアントニオがタバコを吸っていた。いつものようにベンチに座って話をした。「今度アメリカに来たらアメリカ人の女の子を紹介してやるからその子と結婚してアメリカに住めよ。ガハハハハ・・・・・!」とアントニオは言って笑っていた。昨夜も俺が「アメリカに住んでみたいなぁ。でも英語がなぁ・・・。」と言ったら、「ペンキ塗りの仕事でもしてアメリカに住んじゃえば。」見たいなことを言っていた。まっ、それも悪くないか?


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